カテゴリ: 人権と報道

沖縄の県民投票について
 
この程度の住民投票の結果を受けて、「沖縄の民意」だとか「安倍政権への鉄槌」だとかいえる連中こそ、最も安倍政権の支配を受けやすい連中です。
 
20年以上前の新潟県巻町の原発用地購入の是非を問う住民投票で、
 
 
「笹口氏は早速、東北電力の、地元での原発用地購入の是非を問う住民投票の実施を決め、町民に対し『主権者の町民が、十分な判断力で示した結果は効力を持つ。賛成多数なら原発建設へ、反対多数なら建設は不可能になる』との中立なメッセージを送った。」
 
とあるように笹口町長は「原発用地購入の賛成多数なら原発を建設する」と明言しました。
 
投票の結果、
 
「1996年8月に投票が行われた結果、投票率は実に88パーセント、用地購入に反対する票が約6割を占めた。」
 
という民意があったから
 
「1996年8月に投票が行われた結果、投票率は実に88パーセント、用地購入に反対する票が約6割を占めた。『私は記者会見で<町有地は東北電力に売却しない。巻原発の建設は不可能だ>と宣言した』。そして1998年8月、笹口氏は町長として、町有地を原発建設反対派に売却。止めを刺された形の東北電力は、2003年12月に巻原発建設計画の撤回を発表した。」
 
と住民投票の結果を受けて原発用地売却を拒否しました。
 
翻って玉城知事はどうか?
 
 
辺野古県民投票、賛成多数なら…玉城知事「コメントできない」
 
とありました。玉城知事は、賛成多数でも、住民投票の結論を受け入れない含みを残しています。
 
住民投票の結論を受け入れない含みを残すのなら、そもそも住民投票をやる意味がないです。住民投票の結果が玉城知事の意見と違った場合、知事が拒否権を発動できるのなら、住民投票は民意を問う選挙では無いです。
 
玉城知事には
 
「もし辺野古移設への賛成多数なら、辺野古移設をオレは推進する。」
 
と選挙前に言明しなければ、投票の公平性が担保できないです。
 
「民意だ、民意だ」と言う割には半分近くの人は投票すらしなかったです。
 
これだけ重要な論点が問われているにもかかわらず、投票率が50パーちょっとしかなかったです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190225-00557283-shincho-pol
 
沖縄県の有権者の半数近くの人は、
 
「どーせ、辺野古移設への賛成が多数だったとしても、知事のツルの一声で結論が覆すことができる選挙だから、投票に行っても行かなくても大差ない。」
 
とドッチラケだったからこそ、投票所に足を運びませんでした。
 
何百万回でも繰り返します。
 
笹口町長は
 
新潟県巻町の原発用地購入の是非を問う住民投票で、「原発用地購入の賛成多数なら原発を建設する」とお尻に火がついた明言をしました。
 
玉城知事は
 
辺野古移設への是非を問う住民投票で、「辺野古移設への賛成多数の場合はコメントできない」と安全パイを隠し持ちました。
 
沖縄の県民投票は、巻町の住民投票に比べて遥かに低い価値しか持ち得ません。安全パイを隠し持った選挙の価値よりも、お尻に火がついた選挙の価値の方が遥かに高いからです。
 
実際に巻町の住民投票の投票率が90パー近くまでいっていたのに、今回の沖縄の県民投票は半分ちょっとの投票率しかありませんでした。
 

安全パイを隠し持った選挙の結果に舞い上がって道路で泳いでいる連中こそが、安倍政権の支配を最も受けやすい連中だと思いました。

カルロス・ゴーンさんを積極的に支援する気は起きません。たしかに、人質司法による長期間の拘留については、国連人権規約や日本国憲法の精神に反するものです。
 
しかし、ゴーンさん自身は高額報酬をもらっているくせに、平気でリストラをする。
 
日産で無資格検査が発覚したとき、ゴーンさんは西川社長に丸投げでした。
ゴーンさんは堂々と記者の質問に応じる胆力がありませんでした。
 
 
「退任後報酬が確定していないから有価証券報告書への記載義務が無い」
という考え方に、ぼくは反対です。
 
見込み計算である断りを入れた上で記載すべきだと思います。
 
たとえば、2011年3月期の東京電力の有価証券報告書の最終168ページ(監査報告書 追記情報.2)に聞き捨てならないことが書かれています。
 
「注記事項 貸借対照表関係6.偶発債務(3)原子力損害の賠償に係る偶発債務」に記載されているとおり、東北地方太平洋沖地震により被災した福島第一原子力発電所の事故等に関する原子力災害について、わが国の原子力損害賠償制度上、会社は原子力損害の賠償に関する法律(昭和36年6月17日 法律第147号)の要件を満たす場合、賠償責任を負うこととされている。また、その賠償額は原子力損害賠償紛争審査会が今後定める指針に基づいて算定されるなど、賠償額を合理的に見積ることができないことなどから、計上していない。
 
こんな記述を真に受ける人は誰もいません。賠償額を計算しようと思えばできるし、賠償額を計算する義務さえあるにもかかわらず、あれこれ理由を付けて賠償額を計算することから逃げています。原発事故当時の近隣自治体住民の過去の年収をもとに逸失した収入金額、生活再建費用、健康被害に伴う医療費を合理的に見込み計算することは可能です。
 
合理的に見込み計算した賠償金額に幅があるなら、マックスとミニマムでどれだけ差があるのかも開示すればいいだけの話です。「倒産が確実になるほどの賠償金額を開示したくない」という卑小な理由から、支払金額が未確定であることを口実に賠償金額の計算から逃げました。
 
ゴーンさんの主張についても全く同じことが言えます。
 
「役員報酬のお手盛り」には、株式会社の歴史と同じぐらい長い歴史があります。;「役員報酬のお手盛り」が、株式会社の経営に良い影響をもたらしたことは、長い歴史の中で一例たりともありえません。
 
ゴーンさんによれば
 
ゴーン容疑者は「将来の経済情勢がどうなっているのかは不透明だ」などと話し、「額は確定せず、記載義務はない」と訴えている。
とのことです。こんなことは理由になりません。経済情勢がいちばん好調だった場合と不調だった場合でそれぞれいくらになるのかを計算し有価証券報告書に注記事項として記載すればいいだけの話です。退任後報酬を記載しなかったのは、「お手盛り報酬を部外者に知られたくないから」という卑小な理由からです。
 
 
自分だけこっそりいい思いをする一方で、他人の人権を守る意識が全く感じられないカルロス・ゴーンさんを積極的に支援する気は起きませんでした。
 
追記:カルロス・ゴーン氏の高額報酬について
 
郷原弁護士の主張には反対です。
 
カルロス・ゴーン氏は、派遣切りから逃げまくり
 
無資格検査の記者会見は、西川社長に丸投げでした。
 
ただし、大手企業の取締役の高額報酬には必ずしも反対ではないです。
高額の役員報酬の開示が始まった頃のことです。任天堂の岩田社長(Wii)や宮本専務(マリオ・ゼルダ)が1億円以上の報酬を得ていることが判明しました。
 
岩田社長や宮本専務は十分な成果を出しています。彼らを二億円に満たない金額でつなぎとめておけるのなら、安いと思います。
 
翻って、カルロス・ゴーンはどうなんだ?
 
笹子トンネルの天井崩落事故で、スバルの車で一命を取り留めることができたのは非常に有名な話です。
 
日産に例えれば
 
「土砂災害・鉄砲水・高速道路の玉突き事故があっても確実に一命を取り留められる安全制御システムを、ゴーン会長が陣頭指揮するプロジェクトチームが開発した。」
 
というのなら、カルロス・ゴーン会長の高額報酬は安いと思います。
 
現実には、無資格検査だけでなく燃費不正のように
 
消費者の権利を軽視して浮かせた金を、カルロス・ゴーン会長は自身の懐に入れています。
 
「カルロス・ゴーン氏の高額報酬をひがんでいる」と主張する人間こそ、よっぽど世間知らずだと思いました。
 
 
 
 

AFPの記事です。
 
記事中でゴーンさんについて言及しています。
 

The French investigation comes at a tricky time in Franco-Japanese relations which have been strained by the shock arrest of car industry boss Carlos Ghosn in Tokyo on financial misconduct charges.

Ghosn's arrest has exposed rifts in the alliance he forged and led between Japanese vehicle makers Nissan and Mitsubishi Motors, and France's Renault, which is partly owned by the French state.

A spokesman for the Japanese embassy in Paris, Yoshihiro Higuchi, said the Japanese government was unaware that Takeda was being investigated.

 
フランス検察当局がオリンピック誘致をめぐる汚職を調べていると報道されたのは2年半以上前です。
 
竹田さんの起訴に向けてフランス検察当局が動き出したのは、ゴーンさんの逮捕の「意趣返し」であるかどうかがイチバン気になる点だと思います。このAFPの記事中では、(’at a tricky timeではあっても「意趣返し」かどうかの言及は無かったです。
 
ロンドンでの代替開催の目もまだ消えていません。
 
ゴーンさんの肩書きの呼称にはバラツキがあります。
 
容疑者もあれば
 
前会長もあります。
 
いまのところ、「竹田恒和容疑者」という報道は皆無です。
 
NHKの大河ドラマはオリンピックをテーマにした「いだてん」です。オリンピックにダーティーなイメージが定着したら、大河ドラマが台無しになります。
 
民放も大新聞も、オリンピック関連で莫大な広告収入が見込めます。オリンピックにダーティーなイメージが定着したら、お金がもらえなくなります。
 
ゴーンさんは、日産の親会社であるルノーでの地位を失ってはいません。
 
サウジアラビアの実業家が激怒しています。日本の検察当局は裏付けを取れていません。どんな抗議が来るのか読めません。
 
ゴーンさんについても、竹田さんについても同じことがいえます。社会的に影響力が大きい人物を犯人扱い報道をした場合、名誉毀損などを強烈なカウンターパンチを食らうことがあるから、「犯人扱い報道」については慎重になります。
 
その反面、無辜の市民の事件報道の場合は、書き得になるから、平然と「容疑者」の呼称を付けます。たとえ報道に誤りがあって冤罪であったとしても、大したカウンターパンチを食らわずにすむからです。
 
ゴーンさんと竹田さんへの報道で
 
日本の大新聞・テレビ局の「儲からないテーマは論じない」という編集方針を改めて見せ付けられた思いました。

広河隆一への告発報道は非常に衝撃的でした。
 
広河氏からの反論がまだ十分には出ていない状況ではありますが、週刊文春の記事の最後のインタビューによれば
 
・DAYS JAPANに出入りしていた女性と関係を持ったことがある
・女性スタッフへのヌード撮影があった
 
という二点については認めています。
 
薬害エイズがメディアで大きく取り上げられる以前に広河隆一氏の著作「エイズからの告発」という本を読みました。
医療・医学の世界の学閥のネットワークを解析し、研究者・医師の戦争責任・薬害責任を追及する内容だったのを覚えています。そして、「昭和天皇が七三一部隊の存在を知っていたか、知らなかったか」という近代史の重要論点にも言及がありました。
 
DAYS JAPAN 2012年4月号増刊 「検証 原発事故報道~あの時伝えられたこと」
福島第一原発事故直後の大手メディアの報道を時系列にまとめて超一級の基礎資料です。
超人的に根気が必要とされるテレビ報道の活字起こしを担当したのは、(広河隆一氏ではなく)同志社大学浅野健一ゼミの学生たちです。
この辛抱強い企画はDAYS JAPANでなければ実現できませんでした。
 
ぼくを含めて
 
「川田龍平さんと一緒に薬害エイズの告発をし、チェルノブイリや福島の被害者の救済をする人だから、異性に対してもクリーンな人物だ。」
 
というイメージを抱く人は少なくないと思います。
 
「それとこれとは全然違う」のですが、なかなか現実と理想イメージの混乱から抜けられません。
 
 
広河隆一氏への告発報道を読みまして、山口敬之氏のケースと比べずにはいられませんでした。
 
山口氏のバックには、最高権力者の代紋があります。絶対に逮捕も起訴もされないという自覚をもって、レイプをしました。
 
最高権力者の威光を自覚しているだけに、突っ込みどころ満載のやり口でした。
 
ホテルの防犯カメラに(合意が無いのが明らかな)映像を残したり
 
レイプをしたことを認める内容のメールのやり取りをしたことを、
 
サイバースペース上で告発されて拡散されてメンツ丸つぶれです。
 
山口氏のやり口は、幼稚でした。
 
告発報道によれば、広河氏の事の進め方は巧妙です。
 
若い女性スタッフに対して
 
指導を受けられる仕事が始まる前だとか
 
仕事場で厳しく叱責されて凹んだ後だとか
 
ガードが緩くなったタイミングを見計らって、広河氏のペースで事を仕掛けています。
 
山口氏よりも場数を踏んで頭が切れることが感じられました。
 
広河氏からの反論がまだ十分には出ていません。
 
女性のヌード撮影とDAYS JAPANの記事がどう関係するかの説明は非常に難しいと思っています。
 
但し、広河氏からの反論次第では意見を変えるかもしれないです。

2018年12月15日
 
人権と報道・連絡会が主催する
 
「改めてオウム事件を問い直す」シンポジウム
 
に行きました。
 
20年以上前とはいえ大大大事件だったので、シンポジウムが進むにつれ当時の記憶が蘇ってまいりました。
 
1995年は話題が多い年でした。
 
阪神大震災、谷川王将が羽生六冠からタイトル防衛、地下鉄サリン事件、野茂英雄のメジャーリーグ挑戦、オリックス優勝、大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件、Windows95発売
 
といったところでしょうか。
 
当時のテレビ・新聞・雑誌のオウム報道は、どれも全く同じ「無法者の人権を制限するのはやむをえない」という論調一色でした。
 
その中で例外だと感じたのは、「噂の真相」「週刊プレイボーイ」「週刊SPA!」でした。
 
「噂の真相」は、権力の暴走を容赦なく批判する編集方針で有名です。知識人やタレントの「警察ガンバレ」の大合唱を厳しく批判していました。
 
「週刊プレイボーイ」は(匿名ではあるけれど)公安関係者のインタビューを掲載していました。インタビュー中で、オウム報道にガセネタが多い旨が言及されていました。オウムの危険性をセンセーショナルに煽ることで視聴率アップや部数増につなげる為の報道に対して、公安関係者からも疑問が呈されたことに、当時驚いたのを覚えています。
 
「週刊SPA!」では、連載陣がバラエティに富んでいました。当時のツルシ編集長の優れたバランス感覚によるものだったと思います。一番人気の小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」と全く違う論調の連載記事が並存していました。
 
これらの記事を読まないと、少数意見にアクセスできませんでした。
 
当時はインターネットがほとんど普及していませんでした。Windows95の日本での発売は1995年11月です。ツイキャスやブログやSNSを利用しての情報発信は存在しませんでした。平たく言えば、全国ネットのテレビ局がメディアの王様でした。当時のオウム関係者への注目度の瞬間風速は凄まじかったです。
 
もし当時ツイッターが存在し、上祐氏や青山氏の公式アカウントが存在したら、フォロワーは10万人を軽く超えていたと予想されます。捜査当局や報道機関にとって都合の悪い情報が数多く拡散されるチャンスになりえました。情報の拡散が捜査や報道にどんな影響を与えたのか考えずにはいられませんでした。
 
司会の山際永三氏から、地下鉄サリン事件の前日に警察で防毒マスクの装着訓練があった旨の発言がありました。
 
地下鉄サリン事件が起こることを事前に知っていた人は存在すると、ぼくも思っています。
 
当時「噂の真相」の報道で知って驚いたことがあります。松本サリン事件や地下鉄サリン事件の直前に重松製作所や興研といった防毒マスクメーカーの株に大量の買いが入ったとのことです。誰が買ったのかは依然として謎です。
 
 
シンポジウムの中で、「サリン事件を実行するための麻原氏からの指揮命令の裏付けがはっきりしない」という指摘が出ました。
 
 
麻原氏は地下鉄サリン事件当時、視力を失っていました。東京の地下鉄は、路線乗り入れや地下通路が複雑に入り乱れています。具体的な命令がどこまで出すことができたのか非常に気になります。そして、麻原氏に地下鉄サリン事件当日の情報が全て集まる命令系統が存在したのかも依然として謎です。
 
平日の朝は大混雑し、定刻どおりに電車が到着しないことの方が一般的です。
 
「3月20日に××線の何駅の車両でやれ」
 
と命令しても、混雑や遅延のためホームにすら入れない場合もあります。実行を延期するのか、タイミングを待って続行するのか、追加の命令が必要になります。当時は携帯電話がほとんど普及していませんでした。タイムリーな命令の伝達のためにどんな通信手段を用いていたのかも気になります。地下鉄構内・運行中に携帯電話が利用可能になるのは、地下鉄サリン事件よりずっと先の話です。
 
 
宗教について、パネリストの浅野健一氏から、
 
「海外には国家神道の信者は一人もいない。もしいたら教えてほしい。欧米諸国が植民地化した諸国でキリスト教の普及に成功しているにも関わらずだ。」
 
という指摘がありました。
 
かつて、映画「ラストエンペラー」の原作本を読んだことがあります。この中で満州国皇帝 溥儀が靖国神社に参拝させられた後、(踏み絵を踏まされたことに)大変な屈辱感を感じて嘆くシーンがあったのを思い出しました。
 
 
GHQの宗教政策を担当したウィリアム・P・ウッダード氏の著書で
 
「国体のカルト」という言葉が繰り返し取り上げられていました。天皇の祭祀や国家神道にとって、GHQの「人権指令」と「神道指令」は革命的な指令でした。
 
「国体のカルト」は完全には解体されていません。
 
皇居内で、宮中祭祀は依然として行われています。
 
宮中祭祀は天皇の私的行事なので、内廷費で処理され、
 
宮中祭祀に関わる掌典職も、天皇の私的使用人という扱いになっています。
 
私的行事で私的使用人だから、政教分離に抵触しないというのが表向きの理屈です。
 
天皇による政教分離への理解はかなり危なっかしいです。
「象徴としてのお務めについての天皇陛下の言葉」
 
 
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
 
殯の行事のような私的行事の負担の度合いは、政治とはまったく無関係です。天皇の健康に不安があるのなら、摂政に国事行為を代行させればいいだけの話です。天皇の健康に不安があることは、国民の暮らしとはリンクしません。平成以降、天皇の健康状態に関わり無く国民の暮らしは貧しくなる一方でした。政教分離に対する理解が危なっかしいにもかかわらず、天皇を「護憲派の良心的な人物」とみなす論調は非常に多いです。
 
かつて、加藤周一氏が
 
「欧米では、反共で反ファシズムの知識人が多い。でも、日本ではほとんどいない。」
 
という発言をしていたのを覚えています。
 
現在の日本では
 
「人の思想信条をコントロールするカルトは、オウムに限らず批判の対象とする」
 
という知識人の存在はかなりの少数派です。オウムは批判しても、天皇祭祀や靖国神社については護持する考えの知識人が多数派です。
 
オウム事件について
 
「マイノリティへの排斥」がほとんど全てを占めてしまい、「カルト全体への批判」へとつながらなかったのは、日本の宗教史にとって大変残念なことだったと思いました。

↑このページのトップヘ